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『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』

映画

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あらすじ:アメリカ軍の優秀な秘密捜査官だったものの、今では街から街へとあてもなくさまよう生活を送っているジャック・リーチャー(トム・クルーズ)。ある店でトラブルに見舞われた上に保安官に連行されそうになった彼は、自分をめぐる何かしらの陰謀が動きだしているのを察知する。やがて彼は、元同僚であったターナー少佐(コビー・スマルダーズ)を訪ねるが、彼女がスパイ容疑を掛けられて逮捕されたことを知る。ターナーを救い出して共に事態の真相を追ううちに、軍内部に不穏な動きのあることをつかむが……。

 

 

60点

 

 

「わかってねえなあ・・」

 

前作「アウトロー」はシリーズ導入作にしてトム・クルーズの生身のアクションを中心に様々な要素をバランスよく詰め込んだ良作でした。だから楽しみにしてたんですよ、今作も。

 

前作で良かった点を軽く振り返っておくと

①OPシーンの吸引力

②敵味方関係なく登場人物が魅力的

③シリアスな中にも散りばめられた笑いの要素

④クライマックスの採石場でのアクションシーンの迫力

ロザムンド・パイクのお○ぱい

 

改めて振り返ってみると今作は「何も引き継げてないやん・・」と呆然としますよね。

まず①

前作は物語の推進力を生み、かつ伏線の回収にも繋がる見事な狙撃シーンだったのに、今作のOPは普通にジャック・リーチャーが登場。しかもアクションを見せるわけでもなく、かといって処罰される連中が犯した悪業の光景が再現されるわけでもなく、ただ彼の予言通りに話が進むというだけのシーン。

いやいや違うでしょう。道端に人が倒れているところに保安官が到着。身元を調べていると近くの公衆電話に電話がかかってくる。相手はリーチャー。そこで予言めいた事が伝えられる。でいいじゃない。

前作を見た人なら彼の戦闘力の高さは分かりきっているわけだし、未見の人には彼が流れ者である事を伝えないといけない。どちらにとっても無駄なシーン。このOPは本当にダメだと思いますね。

 

そして②

ゼック(ヴェルナー・ヘルツォーク)のラスボス感、キャッシュ(ロバート・デュヴァル)のナイスすぎるキャラと印象深かった前作。

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今見ても迫力ありすぎのゼック。指が無い理由なんかも含めて怖すぎた。

 

ところが今作は敵組織のボス、ハークネス(ロバート・ネッパー)は全然怖そうに見えないし、あそこまで追い詰めておいてロケットランチャーの中身を確認しないとかターナーコビー・スマルダーズ)はバカだとしか思えないし、なによりヒステリックなサマンサ(ダニカ・ヤロシュ)には本当イライラさせられた。

 

④のクライマックスにも通ずる事だが、前作で良かったのは「プロとプロとの戦い」だったこと。物語の推進力を殺ぐような無能な人物が出てこない(出てきてもそういう人間はすぐに処分される)。ところが今作はサマンサの存在が邪魔すぎ。彼女が忠告を無視してメールを送ったりクレカを使ったり、その尻拭いをリーチャー達がさせられるという展開。リーチャーとサマンサが本当の親子かどうか確かめ合うようなシーンも「こういうウェットさが無いのが前作の良さだったのになあ・・」と残念に思ったり。これじゃまるでジャック・リーチャーというより96時間じゃないか。

 

とはいっても、やっぱりトム・クルーズの迫力あるアクションは良かったし、相棒のコビー・スマルダーズもアクションシーンは頑張っていたと思うし、なによりお互い孤独な存在のリーチャーとサマンサが心を通わせるラストはちょっとグッときてしまったのも事実。

 

まあトム・クルーズ主演のアクション映画としてそれなりの満足感は得られる出来だとは思います。私は断然前作の方が好みですが。何より不満だったのは前作でおっ○い大サービスだったロザムンド・パイクが出てこなかったことという、残念すぎる結論で終わりたいと思います。

 

 

オシマイ。

『ハドソン川の奇跡』

映画

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ストーリー:2009年1月15日、真冬のニューヨークで、安全第一がモットーのベテラン操縦士サレンバーガー機長(トム・ハンクス)は、いつものように操縦席へ向かう。飛行機は無事に離陸したものの、マンハッタンの上空わずか850メートルという低空地点で急にエンジンが停止してしまう。このまま墜落すれば、乗客はおろか、ニューヨーク市民にも甚大な被害が及ぶ状況で彼が下した決断は、ハドソン川への着水だった。

 

 

85点

 

 

この作品に足を運ぶ多くの人が、どういう事故でどのような結末を迎えるのかということを予め知っているわけで、だからこそ「事故以外のシーンの描き方」そして「事故のシーンをいかに織り込むか」という2点に注目していたのですが、殆ど完璧な作品と言っていいんじゃないでしょうか。

 

まず良かったのは、機長であるサリー(トム・ハンクス)を最初から英雄然として描かなかったこと。むしろ前半は、事故の後遺症から数々の幻想を見てしまったり、住宅ローンを抱えたまま投資も上手くいっていない現状など、彼の負の部分が少しずつ明らかに。だからこそ「この人、実はヤバいんじゃないの?」と観客も疑念を抱くようになる。

 

そういう前半部があったからこそ「実際の現場で彼がどのように振舞ったか」という真実が描かれるクライマックスで、プロとしての見事な仕事ぶりに感動すると共に、一瞬とはいえ彼に疑惑の目を向けてしまったことを反省・贖罪する。まさに、事件を追及していた国家運輸安全委員会の人々がそうであったように。

 

物語の肝ともいえる事故のシーンは、クライマックスも含め計3度使われるが(合ってるよね?)いずれも着眼点を変え、少しずつ濃度を高めていくことによって観客は毎回新たな発見に気づく。だからこそ結末が分かっているにも関わらず、何度見ても臨場感が損なわれない見事な演出。

 

ただこの作品を見て、むしろ事故以外の点について色々と考えさせられた。

ある日を境に好奇の目に晒される事になる人々の苦悩、9.11と飛行機事故というアメリカ人の心に残るトラウマ、リーマンショックによる不景気や大量失業という閉塞感のためにサリーが崇め奉られるという現実、そしてプロの仕事とはどうあるべきかということ。

 

パイロットに限らず専門職に従事する人々には、経験を重ねてきた者にしかわからない感覚や感性が必ずあるはずで「理論的にはこうだ」とか「理屈としてはこの選択が正しい」と主張する現場を知らない人々との対立(結果として理論的にもサリーが正しかったわけだけど)。その一方で飛行機事故の殆どは技術的ミスではなく判断ミスという統計があるように、どれだけ経験を重ねても「咄嗟に正確な判断を下す」のが如何に難しいか。この事故は、機長がサリーであったこと、たまたまそこに大きな川があったこと、NYのど真ん中という直ぐに救助に駆けつけてもらえる環境だったこと・・幾つもの偶然が重なった結果=まさに奇跡なんですねえ。

 

観る前は「こんな題材で96分ももつのか?」と疑問でしたが、観賞後は「これだけ濃密なテーマをよく96分で纏めたなあ」とちょっと感動しました。こういう体験があるから映画を観るって止められないんですよね。むしろ隙が無さ過ぎてつまらないとすら思えるという、何がなにやらの結論で終わりたいと思います。

 

 

オシマイ

 

 

 

 

『SCOOP!』

映画

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あらすじ:写真週刊誌「SCOOP!」に所属し、数々のスクープ写真を撮ってきたカメラマンの都城静(福山雅治)。しかし、今ではギャンブルに溺れている上に借金に追われつつ、フリーランスのパパラッチとして生活していた。そんな中、「SCOOP!」に配属されてきた新人記者・行川野火(二階堂ふみ)とタッグを組むことに。情報屋のチャラ源(リリー・フランキー)からのネタと場数を踏んできて培ったベテランならではの勘を武器に次々とスクープをものにする静たちだったが、やがて大きな事件に関わることになり……。

 

 

60点

 

 

前半はとても面白かった。超楽しかったしテンション上がる上がる。「これはスゴイ作品かも?」と思ったのに、前半と後半のあまりの落差に唖然としながら劇場を後にしたのでした。

 

良かったところ。

主要な役者陣は全員素晴らしかった。福山雅治二階堂ふみ、吉田羊、リリーフランキー・・。とりわけ主人公・静の、本能の赴くままに生きる男のある種の潔さ。煙草を咥える姿にも華があって、あの夜の街が似合う男感は福山雅治ならではでしょう。またそれが、男女問わず周囲の人を虜にしてしまう色気にも繋がっている。ただ結果的に、この描き方は功罪両面あったのではないかなあ。

 

バクマン』の時もそうでしたが、大根監督は雑誌編集部の描写が秀逸。個々のキャラクターや編集部に漂う生活感。スクープ毎に販売部数が伸び、編集部全体が上昇気流に乗っていく感じ。そして一仕事やり終えた後の一体感と解放感。いずれも見事だったと思いますねえ。

 

実際にスクープを撮りに行くシーンもプロ野球選手、アイドル同士の合コン、政治家と女子穴の不倫(桃パイサイコー)とそれぞれ場所から撮影方法まで面白くて、観客も一緒に楽しめる作り。「こういう手口って実際にありそうだなあ」というモノから、成功したら思わず一緒にガッツポーズしたくなるような爽快感のあるモノまでほんとに楽しかったんですよ、前半は

 

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(大事な事だから2回言いますが桃パイサイコー)

 

だからこそ、後半の展開には心底ゲンナリした

前半とは一変、シリアスな展開になる後半には2つの大きな見せ場があるわけですが、まずどちらも警察が無能すぎ。1つ目なんて四人も殺害している凶悪犯の現場検証で、あんなに警備が杜撰なの有り得ないでしょ。警察のガードが固いみたいな設定になっているのに、馬場(滝藤賢一)は簡単に侵入出来ちゃってるし、おまけに警官にタックルって面白くないしそれ単なる公務執行妨害だから

何より静と野火が自動車置き場でタッグを組む時点で予告編を見ていたら結末が丸分かりというね。後の展開を考えてもここは静と野火の結束感を出すために、真面目にそして丁寧に描くべきシーンだったんじゃないですかね。取って付けたようなベッドシーンを織り交ぜるよりも、このシーンのクオリティを突き詰めましょうよ(ファンサービスのつもりか知らないけど)

 

後半における2つ目の見せ場。これが実質的なクライマックスになるわけですが、銃声がしている現場に丸腰の警官が1人で現れるとか意味不明。警官を含め3人も殺している人間が銃を持って街中を徘徊してるのに、場所を特定するのにどれだけ時間かかるねん。せっかく包囲しても殺人犯への説得や対応はシロウト任せってなにそれ。チャラ源があれだけ執着を見せていた娘を簡単に手放すのも納得できないし、静が娘を説得している間に警察は距離詰めろよ

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見よ、これが烏合の衆とでも言うべき無能軍団だ。

 

劇中、静にとってチャラ源が大事な存在ということを本人の口から何度も聞かされるように、最後に一人で対峙したのは静なりの贖罪のつもりかもしれない。でも親友の事を思うのであればこそ、警察に引き渡すべきじゃないの。もっと言えばクスリをやってると気づいている時点で助けてやれよ

 

さらに追い打ちをかけたのは静が最後に残した一枚の写真。意味ありげに溜めておいて「最後に愛した女の寝顔」ってマジで耳と目を疑った。しかもそれを元妻に言わせるって、この監督はどんな神経してるんだ。その前の展開で「カメラしか取り柄の無かった男の尊厳云々」ともっともらしい事を語らせるなら、あの写真はカメラを持ってこれ以上無いぐらい真剣にチャラ源と対峙する野火の写真であるべきでしょう。それが野火へのメッセージにも繋がるはずなのに、あんな結末では命を賭して親友と対峙した静があの世で泣いてるぜ。

 

ただこれは福山雅治を起用した罪の部分というか、物語が進むほど静というキャラクターの枠を飛び越えて福山雅治の映画になっていく。吉田羊演じる元妻は彼にとって都合の良い存在だし(今でも部屋に通うような間柄ならそもそもなんで別れたんや)、野火も途中からいつでも抱ける便利な女に成り果てる。こういう展開を求めている人もいるのかもしれないけど、それなら最初から「ダメな中年パパラッチ」という設定は要らないんじゃね。

 

色んな要素を詰め込みたかったのは理解できる。しかし、あれもやりたいこれもやりたいと手を出した結果、収拾がつかなくなったものを無理やり纏めこみましたという印象。物語の展開としての前半が素晴らしかっただけに、帰結としての後半の粗雑さが際立ってしまう、残念でならない一本でした。

 

 

オシマイ

『君の名は。』

映画

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あらすじ:1,000年に1度のすい星来訪が、1か月後に迫る日本。山々に囲まれた田舎町に住む女子高生の三葉は、町長である父の選挙運動や、家系の神社の風習などに鬱屈(うっくつ)していた。それゆえに都会への憧れを強く持っていたが、ある日彼女は自分が都会に暮らしている少年になった夢を見る。夢では東京での生活を楽しみながらも、その不思議な感覚に困惑する三葉。一方、東京在住の男子高校生・瀧も自分が田舎町に生活する少女になった夢を見る。やがて、その奇妙な夢を通じて彼らは引き合うようになっていくが……。

 

 

70点

 

 

お断りしておきますが、私はアニメというジャンルに全く興味がありません。今作も「ムービーウォッチメン」の課題作品になっていなければスルーしていたであろう一作。大ヒットしてるみたいだし周囲の人の評判も良いし、ちょっくら行ってきましたよっと。

 

まず感動したのは画のリアルさ。JR東のステッカーとか液晶画面の再現度とか凄くね?

最初は「また東京の人間が田舎者を小馬鹿にしたクソ作品か、けっ」と思ってたけど、画の美しさから生まれる自然風景の描写は見事。受け継がれる風習なども丁寧で誠実な描かれ方だったと思います。この舞台のモチーフになった諏訪湖が、ファンの間で聖地になっているというのは納得。私もちょっと行ってみたいと思ったもん(行かないけど)

 

物語は男女が入れ替わるという既に手垢が付きまくったテーマですけど、古臭く感じられないのには理由があると思う。それはSNSなどネットを介して知り合った男女が結婚するということも珍しくなくなった現代だからこそ、より普遍的なテーマとして多くの人の感動を誘ったのではないかと。まさにブログやスマホに残されたメッセージを通して入れ替わっている間の相手の行動に思いを馳せるという描写がありますが、上手く現代版にアップデートしたと思いますね。

 

というわけで印象に残るシーンも多かったし基本的には楽しめたのですが、やっぱりこの世界観には乗れない部分もある。もうこれは合う合わないの話だから仕方ないのだけど、簡単に言うとすごく漂白された世界じゃないですか。

 

特に気になったのは瀧の描写。三葉が「次に生まれ変わったら東京のイケメンになりたい!」と口走ったらそれがリアルに起こってしまうわけですけど、あまりに都合よすぎるイケメンじゃないですか。男前でこ洒落たイタリアンレストランでバイトしてるのに、彼女はおろか女友達がいる匂いすらしないし。憧れの先輩と上手く話せないのはまだしも、入れ替わるたびにおっ○い触ってよ。イケメンなのに高三で童貞なのかい?つか、お互い学校に2人ずつしか友達おらんのか?

 

あとね、クライマックスはさすがに長すぎだし露骨に感動させようとしすぎ。

時間ないんでしょ?急がないと。邂逅のためにカルデラをグルグルしてる場合じゃないから。瀧が口噛み酒を飲んだら、もう時間軸関係なく何でもありかよ。「お互い忘れないように名前を書こう」からの「すきだ」ってどっひゃー。

 

当初500人だった隕石の衝突による被害が100人に減ったとかいう結論ですけど、さやかとてっしーは都合よく生き残ってるように瀧と三葉の仲間達はことごとく肯定的に描かれ、しかも無条件に彼らに協力してくれる。一方で発電所を爆破したり町内無線を乗っ取ったりしたら、その後始末に追われる人達もいるわけですよね。その人は亡くなってもいいのかい?あれほど魅力的なキャラクターだったのに、おばあちゃんや四葉ちゃんはどうなったんだよ。

 

このように自分とその仲間(あるいは協力的な人)それ以外の人に対する無意識的な峻別が、私は「漂白された世界」だと思ったしご都合主義だと思いました。でも一定数感動する人がいる理由も理解できましたよ。途中までは楽しかったし。

ただ、今年を代表する一本とかそういう評価はどうなのでしょうかねえ。

 

 

オシマイ

『スーサイド・スクワッド』

映画

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あらすじ:世界崩壊の危機が到来。政府は、最強のスナイパーであるデッドショット(ウィル・スミス)や、ジョーカー(ジャレッド・レトー)に夢中のハーレイ・クインマーゴット・ロビー)ら、服役中の悪党たちによる特殊部隊“スーサイド・スクワッド”を結成する。命令に背いた者、任務に失敗した者には、自爆装置が作動するという状況で、寄せ集めの悪党たちが戦いに挑む。

 

 

 

60点

 

 

 

同じアメコミ物の映画化ということで先行組(コミックはDCが先行らしいけど)であるMCUの作品と比較してしまうわけですが、先に公開された『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』を見た時の感想と全く同じ。

「DCってマーベルの世界観を10倍ぐらい陰鬱にして5倍ぐらいキャラクターの魅力を薄めて、しかもスッキリしない終わり方をしてくれるよね」

 

タマフルで『BvS』を取り扱った際に「陰と陰の対決」という感想を送っていた方がいましたが、まさにこの作品も同じことを感じた。なぜなら大事なシーンはことごく夜でクライマックスには都合よく雨が降り出して、目指すべき相手のアジトは夜空に向けて目印を出してくれているというところまで同じ。え?デジャヴ?

 

それともう一つこの作品に陰の要素を与えている大きな点が、登場人物の殆どが能動的に今の立場を選んだ訳ではないということ。敵・味方関係なく、全員ある意味被害者なんだよね。

 

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唯一抜けのいいバカキャラのハーレイ・クインマーゴット・ロビーも、男を見る目の無さが悪かったとはいえ、自ら望んでこうなっちゃったのではない。悪役のエンチャントレス(カーラ・デルベーニュ)だって自分の意思とは無関係に目覚めさせられちゃったわけだし。そのうえ、あれだけ心臓ぶっ刺されたらキレて当然だろうよ。「どっちが勝っても微妙じゃね?」と思いながらクライマックスを見ておりました。(つかエンチャントレスの弟、チートすぎないか)

 

クライマックスのアクションシーンも「結局どうなれば勝ちなの?」という重要な点が非常に飲み込みづらい。大掛かりな爆弾を仕掛けたのは分かった。で、ビルごと吹っ飛ばすつもりなら自分達は逃げなくていいのか?と思っていたら「端に追い込め!」ってなんじゃそりゃ。このあたりも例えば『シビル・ウォー』の空港でのバトルシーンが、あれだけ登場人物が多くてもスッキリ理解しやすかったのとは対照的。

 

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そしてなにより、ジョーカー(ジャレッド・レトってあの描き方で正しいのかな。このオッサン、空気を読まず周囲に迷惑をかけまくり散々殺しもした挙句、ひたすら女のケツを追い掛け回しているクソ野郎じゃないですか。途中からジョーカーが出てくるシーンはほんとにイライラした。しかも最後まで好き放題やって終わる。つかFBIも大変なのは分かるけど、まずコイツなんとかしろよ。

 

しかし、デッドショット(ウィル・スミス)は超魅力的だった!他のメンバーが悪役に仕立てられた感が強いのに比べ、自らその道を選んで生きてきた殺しのプロ。そんな彼が我が身を顧みず先頭に立って立ち向かうところは燃えた萌えた。「お前は戦場で一番に逃げ出すタイプだ」からの車の上に乗って銃乱射はサイコー。

 

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この一連のシーンは120点。屍が飛び散りまくりだぜ。

 

 

全体的にアクションシーンは頑張っていたと思う。ただやはり「アベンジャーズ」シリーズと比べると作品としてのクオリティが二枚ぐらい落ちる感は否めない。というよりもキャラクターのシンプルで魅力的な描き方を筆頭に、マーベルが当然のようにクリアしているレベルって実は凄い事なんだなあと再認識した次第。

 

そんなわけで、MCUの偉大さを改めて噛み締める意味でもおススメの一本という〆で終わりたいと思います。

お後がよろしいようで。