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『今だから小沢一郎と政治の話をしよう』

 

今だから小沢一郎と政治の話をしよう

今だから小沢一郎と政治の話をしよう

 

 

最初に断っておくが、私は現代の日本において小沢一郎ほど優れた政治家はいないと思っている。

政治家に必要とされる資質は多岐にわたる。

社会保障、雇用問題、地方分権などの国内向けの政策。

安全保障、外交、国際社会においてどういう形で貢献するかという対外的な政策。

それらの1つ1つにおいて、歴史的・客観的事実を基に自分の考えを自分の言葉で理路整然と述べられる政治家を他に知らない。

記者クラブの定型的な質問においてすら、官僚が用意した答弁でしか答えられない今の自民党の連中には土台無理な芸当だ。

 

そしてまた、小沢一郎ほどマスコミの恣意的な報道によって人格やイメージを深く傷つけられた人間もいないであろう。

私は小沢一郎を見るにつけ、その存在の孤高さと、理念の確かさにおいて野球界における落合博満を連想してしまうのだ。

落合はかつて自身が出演した番組において「俺がマスコミに喋らないと言っている連中は俺のところに取材にこない奴ら」という趣旨の発言をしていた。

きっと小沢も落合も同じ種類の人種なのだ。

もしくはかつてのサッカーにおける中田英寿もそういう扱いをされたのかもしれない。

 

プロである以上、最低限の知識と覚悟を持って接するのは当たり前だ。

それがお互いを尊重するという事である。

ところが、ともすればなあなあの談合で済まされる傾向の強い日本社会においてはその当たり前の事実が理解されない。

 自分達の不勉強は棚に上げて「あいつは空気が読めないヤツ」「みんなの要求に応えない変人」というレッテルを貼られる。

 

一体、どちらが空気が読めないのだろう?どちらが変人なのだろう?

少なくとも、国民を愚弄しているという点においてはマスコミの方が遥かに罪が重いと思う。

 

本書を一読すれば、小沢に関してマスコミが大好きな「親中」「反日」といったレッテル貼りが如何に唾棄に値するものかという事が一目瞭然である。

それと共に彼の見識の奥深さと、あれだけマスコミや官僚に忌み嫌われ攻撃されても

本気で日本の行く末を案じ、また誰よりも日本国民の知性を信じているかという事に驚嘆の念を禁じえない。

 特に2章の「憲法の話をしよう」と4章の「世界の中の日本を考える」は一読に値する。

 

きっと彼は、口先で綺麗ごとを並べ立てる政治家よりもずっと、日本という国の底力、そして日本人の聡明さを信じているのだ。

だからこそ、政権交代が可能な本当の意味での民主主義国家を自分の政治生命と引き換えにしてでも後世に遺したいと考えているのだと思う。

 

これまでのように、国全体が右肩上がりの成長を続け、あるいは世界においてもアメリカに追随すればいいという時代はとっくに終わった。

だからこそ一人一人がお上に頼ることなく、或いはマスコミの醸成する世論や空気に流される事なく、自分の頭でしっかり考え責任を伴う選択を実行する事が求められている。

それが小沢一郎の言う「自立と共生」への第一歩に繋がるのだ。

 

今こそ、われわれ日本人の見識と民度が試されているのだと思う。