ラ・ラ・ランド【夢の実現と閉じていく可能性】

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あらすじ:何度もオーディションに落ちてすっかりへこんでいた女優志望の卵ミア(エマ・ストーン)は、ピアノの音色に導かれるようにジャズバーに入る。そこでピアニストのセバスチャン(ライアン・ゴズリング)と出会うが、そのいきさつは最悪なものだった。ある日、ミアはプールサイドで不機嫌そうに1980年代のポップスを演奏をするセバスチャンと再会し……。

 

 

95点

 

 

泣いた。途中から泣いてた。もう「映画ってなんて楽しいんだろう」という多幸感に溢れていて、それでいて観賞後に残る仄かな寂寥感。

 

トランプの登場以降、良くない意味で世界を賑わせているアメリカ。でも本来アメリカをアメリカたらしめていた理由、多くの人々が憧れを抱いたソフトパワーの側面。

ジャズや演劇といった文化的要素、「なりたい者になれる」と信じ夢を抱いて集まってくる若者。挫折や失敗も数多く経験しながら、それでも挑戦し続けるからこそのセカンドチャンスの重要性。

でも主人公達を決して甘やかすことなく「夢を追うとは、こんなにも厳しく犠牲を伴うもの」というメッセージ。

 

ミュージカルの楽しさ、画面の美しさ、ミアとセバスチャンのデートシーンがいちいちオシャレなのも含めて「私が見たかったアメリカ映画ってこういうのだよ!」と嬉しくて泣いてた。

 

印象的なシーンはあげるとキリがないのですが、エマ・ストーンの存在感は素晴らしかった。何ていうんですかね、キュートなんだけど美人すぎない。着飾ってても完璧なスタイルじゃない感じが絶妙。

泣いたり悲しそうな表情をする時は意外と皺が目立ったりして(失礼)、それでいて勝負のオーディションでは圧巻の演技力でミアの大物ぶりに説得力をもたせてしまう。

 

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こんなに可愛らしかったミアが

 

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最後にこうなってしまうのは少し寂しくもあり・・というのはワガママ(私の知ってるミアじゃない!)

 

一つの夢を追いかけるという生き方はとても尊いことかもしれないけど、それによって閉ざされていく可能性や他の選択肢も無数にあるわけで、つまりそれが大人になる=歳を重ねるということなのかもしれません。

だからこそ人は「ありえたかもしれないもう一つの人生」「なれたかもしれないもう一人の自分」に思いを馳せる・・それが凝縮された濃密だけど切ないラストシーン。

 

数え切れないほどの要素をミュージカルにのせてリズムよく語り、時間を忘れてしまうほど観客を楽しませ、考えさせるような余韻も残す。これ以上映画に何を望むのだろう。

 

ただ一つだけ残念、というか引っかかったのはセバスチャンの扱い。

2人のすれ違いが増えたころ、セバスチャンが用意していたサプライズパーティ。でも最終的には口論になってしまい「君は恵まれない境遇の僕に同情していただけだろう」という「おま、それ言うか!」な決定打を放ってしまうシーンがありますよね。

でもあの結末は「セバスチャンの言ってたことってあながち的外れとも言い切れないんじゃない?」と見えなくもない。

 

セバスチャンは一度は夢を諦めかけていたミアを引き戻してくれた恩人じゃないですか。ミアがパリに行くと決まった時も「夢を叶えるために必死で頑張ってこい」と私欲は後回しに背中を押してくれた男の中の男じゃないですか(ちょっと変わり者だけど)

にも関わらず、ミアは今や大女優、結婚して幸せな家庭も築いて・・。いや5年間2人の間に何があったか知らないけど、セバスチャンはずっとミアのことを待ってたかもしれないよ?

 

「夢を追うことの代償」としての側面だったのかもしれませんが、私はベタなストーリーで上等なのでセバスチャンにも幸せになって終わってほしかった。今も心に残るモヤモヤ。その資格がある男だったと思うから。。

 

 

 

 

オシマイ